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YOKOHAMA LAGOON 今週のボーズワード 「達者」

日々の活動 2024/02/06

よく手紙とか、挨拶とかで、お達者で、とか使う事ありますよね。「達者でね~」とか。他にも「芸達者で」とか「口が達者で」とかいう言い方をしたり、物事を上手にできる人を指したりする。これも仏教用語なんです。

この達者という言葉、元は通達者といって、道理に通じて、達した人。つまり悟った人のことを指す言葉でした。悟りというのは、物事の道理に明るい人という意味で、森羅万象の道理を明らかにする仏様は、人生の通達者だったんですね。

そうした意味だけにいろんな経典にも見える言葉で、「現世では、法を得て楽を為し 亦後世には安んずるをなす。當に知るべし聡き達者なり」(中阿含經巻第二十九 大正蔵経1巻609頁)といった風にいろいろな場面にあらわれます。

日本でも、聖徳太子の有名な十七条憲法の一番最初に、「和を以て貴しと為し、さかふること無きを宗とせよ。人皆党有り、また達れる者は少なし」とでてきます。二条でも三宝を敬いとあるように、十七条の憲法は、仏教の影響がすごく強い。これも、佛道に明るい人=悟れる人、という意味合いだったからなんです。

これが時代が下ると、仏教以外の、その他の道に通じた人にも使うようになった。平家物語にも「あつぱれ文武二道の達者かなとぞ見えたりける」(平家物語巻第七 木曾願書)とあります。そこから更に室町末期には、「年はよったれども、老者勇健にたっしゃな物に」(古活字本毛詩抄 清原宣賢)なんて、体が丈夫なことを差して、今の達者の意味になったんです。

元の意味を見ていきますと、達者な人とは、本当は道理に明るい人のことなんです。何が大切かを本当にわかっている人。そうならないために大切なことは、思い込まないことが大切です。

天台大師という人が書いた書物に、「又求那跋摩云く 諸論各異端なれども修行の理は二無し 偏執に是非有りとも達者は違諍無し」(妙法蓮華經玄義巻第八下 大正蔵経33巻784頁 顕謗法鈔 昭和底本265頁)とあります。教えの一つの偏執によって、一つのお悟りの法も、これだけいろんな宗派に分かれてしまった。自分は間違っていないという思い込み。自分が学んだ事が絶対に正しいとの思い込み。これが達者のための、仏様の目を曇らせてしまう。落ち着いて話を聞く、達者な人になれる一週間を。

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