妙深寺を知る

海外の活動

生きたお寺・妙深寺は、海外でも活動を続けて来ました。

昭和30年(1955)、初代ご住職の日博上人は本門佛立宗の全米(南北)布教総監として戦後初めてブラジルへと渡りました。日博上人は「勝ち組・負け組」問題で対立していた日系人社会に鳩山一郎首相の書簡を届け、ブラジル各地の本門佛立宗の寺院や映画館などで講演会や上映会を行いました。「コーヒーの壺」と題された日博上人の講演や日本の風景を写した16ミリフィルムの映像に多くの人が感動し、戦後の混乱の中に希望を見出しました。

日博上人はブラジルに仏教を伝えた茨木日水上人の盟友としてその後もブラジルを支援し続け、昭和39年(1964)にも再度ブラジルへ渡航。現在ブラジルには本門佛立宗の寺院が11ヶ寺建立されています。

第2代住職の松風院日爽上人もブラジルへ渡航され、ご奉公を継承されました。また日博上人の長男で現在神奈川県大和市にある末寺法深寺の住職をされている清水泉洋ご住職はブラジルに6年間赴任され、各地の住職としてご奉公くださいました。

現在の第3代ご住職はこのような生きたお寺・妙深寺の伝統を受け継ぎ、ブラジルはもとよりスリランカ、インド、ネパールなどで精力的にご奉公を開始され、海外での仏教再興と国際平和への貢献に努めてこられました。

特に、ご住職の就任直後に発生した2001年9月11日の米国同時多発テロとその後の中東の混乱は大きく宗教に起因するものとして周知されているとおりです。

2003年、イラク戦争の開始から半年後、ご住職は単身でユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地として知られるイスラエルのエルサレムやガリラヤ湖、パレスチナ各地を訪問し、仏教の説く平和と平等の精神が現代社会にどれだけ不可欠か思いを深められました。

2004年にはスリランカ、インド、2005年にはアメリカ、2006年にはイタリア、2007年にはブラジル、シンガポール、韓国などを訪問し、ご奉公を続けてきました。

また、スマトラ沖地震津波災害の復興支援活動、フィリピンを襲った台風30号ヨランダの災害支援、ネパール大地震の復興支援活動など、生きたお寺・妙深寺として国際貢献活動を続けてまいりました。

この間、スリランカ人としてディリーパ・マドゥシャーン君が妙深寺に寄宿して日本語学校に通い、発心して僧侶となりました(僧名:良潤)。

また、ブラジル人のユウジ・アレックス・コレイア君も妙深寺で出家することとなりました(僧名:清行)。

そうした地道なご奉公が実り、2013年に妙深寺スリランカ・コロンボ別院が設立、2014年にインド親会場、2016年にはネパール親会場を設立することが出来ました。

スリランカではコロンボの別院を中心に、南部のゴール親会場など各地でディリーパ良潤師がご奉公を重ねています。

仏教の創始者・ブッダが誕生されたネパールでは、国民の30%が被災者となった大地震の支援活動として、国際機関や政府の支援が届かない僻地の学校に校舎を建設し、その御縁から土地の提供を受け、親会場が設立されました。

現在、カトマンズ北部のスンカニ村に建立されたネパール平和題目塔とHBSハウスを中心に、コレイア清行師が担当責任者としてご奉公を続けています。

インドでは法華経の説かれた聖地・ラージギル(王舎城)近郊の農村に親会場を建立いたしました。

インドは仏教の聖地でありながら、当地における古よりの仏教の伝統は途絶え、仏教復興は行われていますが、仏教徒は依然少数派です。著しい経済発展の反面、極端な経済・教育格差により何億という方がいまも貧困にあえぐ生活を送り、根強く残るカースト思想の影響も子どもたちの未来を奪っています。

妙深寺では子どもたちの教育支援を第一の目的として有馬清朋師を責任担当者として親会場に派遣し、地道な支援活動を続けています。

生きたお寺・妙深寺。

横浜市にある小さなお寺ですが、日本国内はもとより、今だからこそしっかりと海外にも目を向けて、人類の尊い宝物、仏教の普遍的な思想や感動を世界中の人びとにお伝えしてゆきたいと努力を続けております。