因果の道理を参照

罪を悔い改め、ゆるしを願うこと。罪にも二つあり、一つは道徳上・法律上の罪、もう一つは謗法罪といい、正法に背くことで、これは知る知らずにかかわらず人が生まれ持っている罪であるとされる。これらの罪を告白し、これからは正しい道を修行し、善行功徳を積むと誓うこと。

仏陀は本物の仏教(宗教)を見極める方法として、3つの指針のあることを説かれている。それが三証と言われる、道理証、文証、現証の3つのこと。これがそろって初めて、正しい信仰であるとされる。
道理証とは道理に適っているかどうかということ。たとえば人をあやめて正しいとしたり、世間の人々がとても理解できないような修行方法を行うなど、世間の道理に合わせておかしいものは正しい信仰ではない。
文証とは、その教えのよりどころとなっている証文があるのかどうかということ。仏教であれば、仏説の経典に則っているかどうかということ。教祖などが突然、自分は神だと名乗り、いろいろな諸説をならべても、それが、経文と照らし合わせて違っているならば、正しい信仰ではない。
現証とは、正しい信仰を信じ、実行する中で、その経文に説かれたとおりに「よい結果」があらわれるかどうかということ。
正しい信仰を正しく実践すれば、その証明として、よい結果があらわれるはすである。その証明があらわれなければ、いくら口で正しいと言われても信じることができないのが私たちというもの。仏教は、正しい生き方と、苦しみ、悩みを乗り越える方法を説かれたもの。つまり、仏教を正しく実践すれば、人生が好転するはずである。しかし、正しく仏教を実践できていなかった場合、正しく結果はあらわれない。だからこそ、私たち佛立宗では、この「現証」こそが自分の信仰の正誤を図るものとして大事なものとされる。ご信心をしていて実際に目の前で病気が治ったり、仕事が上手く行ったり、あきらかに人生が良くなっていけば、このご信心は本物で、来世も大丈夫だと確信が持てる。これこそが、まさに本物の仏教を証明する、とても大切なことだと教えていただくのである。
本門佛立宗は、まさにこの三証を満たした、道理に適ったやり方(道理証)で、法華経という仏教最高の経文を基に(文証)、さまざまな御利益を頂ける(現証)、真実、本物の仏教なのです。

妙法弘通の方法で、人々の迷いの心を折り伏せ、妙法を持たせること。現代にあっては、誤った考えを慈悲をもって打ち破り、正法に従わせるという、厳しい方法に依らなければ、人々は救えないとされる。折伏はあらゆる善行功徳のなかの第一のものと教えられる。

久遠の本仏が、久遠の時代にお教化をしたという一番弟子で、釈尊が法華経を説かれたとき、末法の世に妙法を弘めるように任命した四人の菩薩(本化の四菩薩:上行菩薩、安立行菩薩、浄行菩薩、無辺行菩薩)のうちの最も上位の一人。

感謝と感激の意味で、御法に出会えた身を喜び、その教えを信じて随い、人の幸福を素直に喜ぶこと。常に感謝の念をもって日々を送る中に、また新たな喜びが生まれる。