体 験 談

心 の 病

薬物による鬱状態からの回復

Kさん

【寺報 H26年6月号掲載】

3月20日に父が亡くなり、先日四十九日まで無事に勤めていただきました。父は、戦後食べ物が無い頃、祖父や祖母に連れられて、岡野町にあった、日博上人時代の妙深寺によくお参詣していたそうです。「お寺に行けば何か食べさせてもらえた」と言っていました。私が小さい頃は、祖父と祖母は、いつも一生懸命「南無妙法蓮華経」と唱えていました。その祖父も平成4年に、祖母は平成15年に亡くなり、妙深寺でお葬式をしていただきました。

私の顔には、ひどい火傷があるんですが、祖母が亡くなった頃、私は不良中の不良で、両親にも迷惑をかけ、覚醒剤を使用してしまい、「やめなきゃ、やめなきゃ」と思いながらもやめられない狭間でウツ状態になり、酒をガブ飲みして酔っぱらい、「もう消えてしまいたい」と思って、焼身自殺を図ってしまったのです。一命は取り留めたものの、体中に火傷の跡が残ってしまいました。

やがて母が倒れ、父は一年半毎日病院に通い続けました。母が亡くなり、父は抜け殻のようになっていました。そのときのお講師が正教師で、「お母さんのため、自分のために」とご信心を勧めてくださり、父はあまりいい顔をしませんでしたが、正教師に導かれ、私は自分から懐中御本尊をいただき、本門佛立宗の信徒となりました。

私は仕事の合間などで、「色々なことがうまく行くように」と、父に隠れて懐中御本尊に向かって御題目を唱え、その後、他のご信者さんとも連絡を取るようになり、正教師とも何度もご面会し、お会式やお講席にも隠れてお参詣をしていました。

そのうち、父の具合が悪くなり入院した時、正教師が面会に来てくださり、父は喜んでいました。今年の1月、検査でステージ4の肺ガンと分かり、余命は1年。父は気丈に話をしていましたが、内心はやるせない気持ちでいっぱいだったと思います。

私は今、タクシーの運転手をしているので、朝8時に出社して帰るのは翌朝6~7時頃。少しでも長く父と話ができるよう、転職のため面接に行こうとしたその日、父の容態が急変したと連絡がありました。病院に行くと、父はギリギリのところで頑張っていて、声を掛け続け、しばらくして息を引き取りました。言葉がなく、自宅に戻っても現実を受け入れられませんでした。

正教師にお葬式を勤めてもらい、毎週お参りに来ていただく中で、百本祈願(※お線香百本分のお看経を上げる)というものを教わり、亡くなった父のため、また自分や弟のためにと、13日間でさせていただきました。「さみしくなったときはお看経を上げなさい」とか、「仕事に行っていないなら、朝参詣しなさい」とも言われ、朝参詣も始めました。

そして四十九日。式が始まった瞬間、お骨の前にパチパチと稲妻が走ったんです。「きっとお父さんがあなたに『ありがとう』って言ってるんだよ」と言っていただき、いい供養ができたのかなと思っています。祖父や祖母が「また信心をしてくれよ」と言っているのかなと思い、今、ご信心をさせてもらってることに、すごく感謝をしています。

先日、ゴールデンウィークは普通お客の少ない時期で、他の人は1~2万のところ、私は4~5万円の売上が2日連続してあり、これも御法さまのお計らいなのかなと思っています。

これからも修行は続きます。皆さんと会えたのもお計らいかなと思っています。及ばずながらお参詣、ご奉公にと、慢心なく、本門佛立宗のご信心をさせていただきたいと思います。

顔は取っ付きにくいかもしれませんが(笑)、色々な人と話をしたいと思っていますので、これからもよろしくお願いします。

仕事による鬱状態からの回復

Iさん

【寺報 H24年5月号掲載】

《Iさんは、先住が脳挫傷から奇跡の回復を遂げた後の平成7年頃にオートバイの事故で、同じように脳挫傷で意識不明になってしまっていました。Iさんのお母さんと一緒に働いていたご信者さんは、「ご住職(先住)がこんなに大きな御利益を頂いたんだから」と説得し、お寺にお連れし、Iさんのお母さんは入信を決められました。そして、教区お講で先住がIさんの入信の言上をし、御宝前にご祈願されたその日、Iさんは意識を回復されたのです。それからIさんは、元気になって働いていたのですが、昨年、仕事の悩みからウツ状態になってしまったのです。》

私は、16年前にオートバイで大きな事故を起こしてしまって、病院に行ったときに、先生がおっしゃっていたことは、「99%命はない。もし1%で助かっても、半身不随とか障害が残る」と言われていたそうです。その時、ご住職にご祈願をしてもらって、命を助けていただいて、病院から退院した後も、その時は、毎日お寺にお参詣していたんですが、それからしばらくして、少しよくなったと思った時に、お寺から足が遠のいてしまって、また悪循環になってしまって…。

(昨年)9月のはじめくらいに仕事に行き詰まり、精神的に追い詰められてしまったんです。その時に、仕事場の店長が異常に気付いて家に来てくれて、すぐ病院に行って助かりまして、それで今は、お寺の青年会の人たちとも色々と一緒にご奉公させていただいています。

自分は、高校生の時はオートバイが好きだったので、そういう道に就職しようと思っていました。今は、施設部の方々と一緒にお寺でご奉公させていただいているんですが、今後、ヘルパーの仕事をやりたいなと思って、探しています。

お講師は、病院で点滴を打っていたときにも来てくれたそうで、あとでお講師から色々、説教っていうか、お話をしていただいて、その時「毎朝お寺に来て、とにかくトイレ掃除をしなさい」と言われまして、今もさせていただいています。それをさせていただいているうちに、自分が人に必要とされているのかな、という思いが起きてきて、これからも一生懸命させていただこうと思っています。

病 気

上咽頭ガンからの回復

Aさん

【寺報 平成25年7月号掲載】

娘が21歳、今から16年前のことは、昨日のことのように思い返され、こみ上げるものがあります。

娘が「口が開かない」と言い、歯医者、何ヵ所もの病院、整体をまわりましたが原因が分からず半年が過ぎました。そして、東海大学病院に行きましたが、最初は分からないと言われ、詳しく検査をしてもらうことになりました。翌年1月5日に病院から電話があり、東海大に行き、「上咽頭ガン」という病名を知らされました。「悪性で腫瘍が大きく手術ができない。もし手術をしても脳の方まで腫瘍があるため、顔の半分以上を取らなければならない」と言われ、足がすくみ、頭が真白になりました。娘の将来はどうなるのだろう、何も考えることができません。

お寺にお参詣に行き、寿美江奥さまに「自分一人ではとてもお医者さまと話すことができない」と伝えると、寿美江奥さまが一緒に東海大まで行ってくださり、心強く、とてもありがたかったです。

「抗ガン剤、放射線治療をするためには本人に告知してください」と言われましたが、とても娘に話すことはできませんでした。しかし、同室の方が知ってしまい、「私と同じ病気、食事をしても味覚が分からず、ノドに違和感があり痛くて辛いのよ」と言われ、娘はショックを受けてしまったのです。

寿美江奥さまは「お供水をいただけば大丈夫だから」と言ってくださり、私も「よくなるから」と言い続けました。私は「御法さまにお願いするしかない」と思い、1日7本のお看経を決定し、母と一緒にご祈願を始めました。母は「私が代わってあげたかった」と泣きながら言い、私も同じ思いでした。

いよいよ治療が始まり、私は「放射線を当てる顔とノドにお供水を付ければよくなるからね」と言いました。1回目の治療はお総講の日で、先住がご祈願してくださいました。不思議なことにその後の治療の日も、全てお総講の日に当たりました。放射線を当てるとアザができると言われ、とても痛く辛かったそうですが、アザや髪が抜けることもありませんでした。娘はお供水のことを「魔法の水」と言っていました。先生や看護師さん、皆いい人たちに巡り会え、入院中、娘も明るく過ごせたのは、私にとって救いでした。

教区お講の席で、先住が「Iさん、私の真後ろに座りなさい。御利益が必ず顕れるから」と言われ、私は必死に御題目を上げました。

真夜中に母とお看経をしていたとき、バリバリと音がしました。それはお供水の器にヒビが入ったのですが、私はとっさに「罪障消滅できた」と思いました。次の日、天気は良く、パァーっと日の光が御宝前を照らしました。私はなぜか嬉しい気持ちになり、「今日はきっといいことがある」と確信しました。そして、娘から「ガンが消え、お医者さまが不思議がっている」と知らされました。私は「これが現証の御利益なんだ、ご祈願が成就したんだ、御法さまありがとうございます」と合掌し、涙がとめどもなく溢れ出ました。

先住をはじめお講師方、毎日詰め助行をしてくださったご信者の方々、青年会の方々と、たくさんの方にお助行をしていただき、感謝しきれません。ただただありがたいと思いました。

3ヵ月の入院生活の後、無事退院し、娘とお寺へお参詣に行った時、お数珠袋を見ていたら、先住が「こっちの方がいいよ」と言ってくださったものを、今でも大切にしています。

こうして定業能転の御利益をいただきました。お医者さまからは、「10年は結婚は無理、子供もできないかもしれない」と言われましたが、結婚もでき、この秋、子供が誕生します。またお計らいをいただきました。

6月15日、娘の名前で教区お講をいただきました。ご住職は「めぐみさんと会えてよかった。法灯相続をして、しっかりご信心をさせていただきましょう」と大変喜んでくださいました。

本当にありがたく、御法さまのおかげと思っております。これからもご奉公に気張らせていただきます。

心房中隔欠損症の手術成功

Fさん

【寺報 平成28年9月号掲載】

この1~2年の間、体が辛いと感じていて、年のせいだと思っていましたが、3月14日に仕事で家を出て歩いていると突然めまいに似た症状に襲われ動けなくなってしまいました。次の日、さらに体調が悪くなったので翌日にかかりつけの病院に行きましたが原因はわからず、胃の具合が悪いと言ったら、別の消化器科の病院を紹介されたので翌日に受診し、検査の結果、心臓に異常があり、すぐに大きな病院を受診するよう勧められました。

3月22日に横浜市大病院で診察を受けた結果、すぐにCCUという特別病棟に入院することになりました。長女が主治医から私の状態の説明を受け、病名は心房中隔欠損症で心臓の壁(左右心房を仕切る壁)に穴が開いており、そこから血液が漏れているため心臓自体が大きく肥大している、また肺の血圧が高いうえに心不全と不整脈という診断で、その時の心拍数が200もあり、これは全速力で走っている状態がずっと続いているため、相当苦しいと思いますと言われました。点滴で心拍数をコントロールし、落ち着いてきた頃にカテーテルと食道エコー・MRI・骨密度等の検査をした結果、5月23日に手術することになりました。しかし、その間に風邪をひいてしまい、咳がひどく、手術前の検診の時に先生と相談したところ、風邪をひいたままの手術は危険ということで一週間後の5月30日に変更となりました。

手術までの間に咳が治り、無事に手術ができるようにご祈願をさせていただきました。すると手術入院の3日前に咳がピタっと止まり、予定通り5月27日に手術のため再度入院しました。入院したその日に執刀医の先生から手術の説明があり、まず、のど元からみぞおちの手前までメスを入れ、胸骨を機械で切断し、胸骨の下にある心臓を取り出して人工心肺を体内に入れて血流を確保し、取り出した心臓を一度止めて心臓にメスを入れ心房の壁の穴を塞いだ後、今度は心臓が肥大しているために広がってしまった三尖弁の幅を狭める手術もしたいが、年齢的に体が持つか不安なので、もしかしたらできないかもしれないと言われ、その他にも術中、術後の合併症など怖い話をたくさん聞きました。自分で思っていた以上に大変な手術でビックリしましたが、全て御法さまにお任せしているので不安はありませんでした。

そして5月30日午前8時50分に手術室に入り、手術が始まりました。当日はお寺で上星川教区の皆さまをはじめ、お講師方・ご信者の皆さまが朝参詣から手術が終わるまでの間、ずっとお助行してくださり、一緒にお看経していた長男は皆さまの心のこもったお助行にとても感激し、本当にありがたくて涙が出たそうです。

みなさまのお助行のおかげで当初7~8時間かかると言われていた手術がそれよりも早い約6時間後の午後3時10分に終わり、術後、すぐ先生から子どもたちに説明があり、手術は予定通り全てスムーズにでき、心臓の壁の穴もきれいに塞ぐことができ、体力的に厳しいと思っていた三尖弁の手術もでき、出血も少なかったため輸血しなくて済み、「全てが順調にうまくできました」と笑顔で言われたそうです。「しかし、術後はとにかく大変で、合併症の心配もあるので慎重に経過を診ていきます」と言われたそうです。

けれど、翌日には先生がニコニコしながら「もうお昼も食べられましたよ。とても順調に回復されています。すごいです」と説明を受けたそうで、その時に長女と長男は「あ、これが御法さまの凄さなんだ」と実感して涙が出たそうです。その後も順調に回復し、先生からは「意識がはっきりすればするほど傷の痛みが増す」と言われていたのですが痛みは全くなく、3週間で無事に退院することができました。

今回はたくさんの方々にご祈願、お助行していただき、そのおかげで手術無事成功、術後経過良好のお計らいをいただくことができました。本当にありがとうございました。

仕 事

自分を変えるため

Tさん

【寺報 平成25年6月号掲載】

私はフリーでムービーのカメラマンを職業にしています。普通の会社員や働いてる方々のように保証されてるものがまったくなく、仕事がなければ当然、無収入が続きます。生活もまともにできない状態の時期もあり、《仕事がない→お金がない→外に出ない→人にあわない→ひきこもる→人が怖くなる→またひきこもる》という悪循環の日々でした。

私のことを気にしてくれている人たちにもケンカを売ってしまったり、大事な友も離れていってしまったり、荒れる日々で、人に優しく接することもできず、人のせい、世の中のせいにして、悪いことばかりを考える…、そんな日々を10年くらい続けていました。

今から3年ほど前、Sさんと10年以上ぶりに再会しました。以前大阪でSさんが監督のCMにいくつもかかわらせていただいていました。

今の状況を素直に話した後、私自ら「お寺に行かせてもらいたい」と言いました。自分を変えたかったからです。どんなことになるか分かりませんでしたが、スポーツジムで筋トレをするように、精神の筋トレをしようと思い、通い始めました。

はじめのうちは全然分からないので、言われるがままこなしていました。ただ、それは最初のうちだけで、正直、真面目にしてきたわけではありません。

実は入信してすぐ、“若い頃思っていた夢の実現”がありましたが、お寺に来るようになったからだ、とは思えず、自分が本気で思ったからだ、すべては自分の力だ、と思いました。だから、その後お寺から足は遠のき、朝夕のお看経もしなくなりました。

また以前と同じような自分に戻り、仕事がない、人に会わない、やる気もない、生きるためだけのバイトをこなしている日々。今思えば、前よりも、もっとひどくなっていたと思います。

そんな中、お寺を辞めようと決意し、去年の年末近く、Sさん家族と食事をするとき、辞める旨を言おうと行きました。しかし、話してるうちに、説得をされたわけではないのに、結局、自分自分と言っておきながら、人のせいにしてる自分に気付きました。自分は自分勝手でわがままで、弱くてダメな奴だと。逃げているだけだと。逃げる姿勢をしてしまうと、なんでも嫌なことを避けようとしてしまう。仕事でもプライベートでも…。

もう逃げたくない…。努力も何もしない人間に、いいことなんて起こるはずがない。当たり前のことです。もう一度、本気で、真面目にやってみよう!そう思い、今年の寒参詣を頑張ってみました。寒い中、バイクで千葉から通うのは、結構辛くて寒くてしんどかったですが、やろうと決意した自分にウソをつきたくなく、もう以前の自分には戻りたくなく、通いました。

そうすると、ホントに変わっていきました。まず性格が、昔の自分に戻ってきた感じがしました。明るかった、いつも笑ってた自分に。

それは、妙深寺の方々の、何とも言えない優しさに触れて、幸せな気分になったり、愛情を注いでくれている、守っていただいている、そんな不思議な感覚を覚えたことだと思います。

そんな幸せ感と感謝を持って日々生活をしていると、自然と人が私の元に来ていただけるようになってきました。仕事も不思議と入ってきて、今までで一番の忙しさになりました。不思議と別な仕事なのに人が繋がっていたり、偶然出会った人が仕事関係の人だったり、毎日、充実した日々を過ごせるようになっていきました。

仕事の人たちからも愛情を感じることができるようになり、私の方から愛情を注ぐことができるようにもなりました。何より人に優しくできるようになったことが大きいと思います。

ストーカー被害を克服

Hさん

【寺報 平成26年10月号掲載】

妙深寺との出会いは、昨年6月のことでした。北海道の函館信照寺でご信心をしている母から話があり、妹と2人で妙深寺に行き、Tさんご家族にお会いし、お講師ともお話しさせていただき、懐中御本尊をいただくことを決め、入信となりました。

この頃、私は職場の人間関係で悩んでいて、体調がすぐれない日が続いていました。7月の終わりに母が東京へ来る用事があり、そこで母に、職場の男性によるストーカー被害で悩んでいることを打ち明けました。

これはもともと5月頃、食事に誘われて行ったことがきっかけで、それから何度も食事に誘ってきたり、他の人から私のメールアドレスを聞き出して、何度もメールを送ってくるようになり、転職を意識するようになりました。

8月下旬、問題解決と転職成就のご祈願をしはじめ、その後、ご祈願を叶えていただくため、御本尊の奉安を勧めていただき、東京の自宅に奉安をしていただきました。自分の家で初めてお看経を上げていただいたときには、鳥肌が立ちました。

その後、一週間の詰め助行で、日々のお給仕やお看経の仕方を教えてもらい、はじめは大きい声を出すのが恥ずかしかったのですが、毎日続けているうちに、自然と声が出るようになり、お看経が終わった後は、体はポカポカ、気持ちはスッキリという感覚でした。

しかし、例の男性からのメールはずっと送り続けられており、着信拒否をしてからは、手紙を渡してきたりしました。ずっと断り続けていたのですが、11月6日、退勤の時に、顔色を変えて「人をバカにするのもいい加減にしろ!」と言われ、私は怖くなり、Tさんに電話すると、上司に相談してみようということになりました。

翌日上司に話すと、意外にも真剣に取り合ってくれて、店長にも伝えてくれ、シフトを変えたりしてくれました。

しかしこの頃、ストレスで満員電車に乗れなくなり、ご飯がのどを通らないようになっていました。

そして11月17日。昼から出勤し、売り場に出たのですが、急に気持ちが悪くなり、裏に下がりました。上司が声をかけてくれたのですが、その途端、急に涙が込み上げてきて、大声で泣いてしまい、「もう辞めます」と言い、その日は早退しました。

帰ってすぐ実家に電話し、会社を辞めようと思っていることを母に伝えると、疲れてすぐに寝てしまいました。

夕方目を覚ますと、Tさんから留守電が入っており、母が連絡をしてくれたそうで、心配して電話をかけてくれました。そして、なんと家まで様子を見に来てくれたのです。

その後、一緒にお寺に行くと、妹やTさんのご主人がお助行をして待っていてくださり、ご住職やお講師に話を聞いてもらいました。その日はちょうどボーズバーの日で、数日ぶりにご飯を美味しくいただくことができました。

翌日、退職届を出しました。皆さまのおかげで、気持ちは落ち着いていて、店長や上司にしっかりと気持ちを伝えることができました。

退職後、「朝参詣がお勤めだと思ってお参詣しましょう」と教わり、朝参詣に心がけました。教区お講や部お講、青年会お講にも初めてお参詣させていただき、多くのご信者さんと触れ合うことができ、とても新鮮でした。何より、誰かの家でみんなで御題目を唱えることは、とっても気持ちがよく、パワーがもらえるという感じでした。

その後、年末に実家に帰り、久々に家族4人そろって新年を迎えることができました。

年明けに東京に戻り、就職活動を始めました。寒参詣も始まり、成人式や青年会でご供養当番のご奉公もさせていただきました。寒参詣は目標20日間のところ、23日間お参詣させていただきました。

2月8日、転職フェアに行く予定にしていたのですが、朝から大雪。翌週、別のフェアに行こうと思ったのですが、こちらも大雪(笑)。でも、自分にカツを入れ、大雪の中行きました。

その翌日が門祖会で、大雪の影響で電車が運休や遅延をしていたのですが、普段の倍の時間をかけてお寺に行きました。すると、開始時間を遅らせていたので、最初からお参りできました。

次の日は晴天に恵まれ、「ご祈願札係」を初めてご奉公させていただきました。緊張しましたが、袴を着せてもらい、気持ちが引き締まり、楽しくご奉公させていただきました。

その後、転職フェアで知り合った会社の面接で、スーツを着て会社に行く日が続きました。

3月8日・9日は、姉妹で、妙深寺の陸前高田への被災地支援活動に参加させていただきました。

そしてその翌日、一社から無事内定をいただき、次の日には現場の面談、その翌日には現場入りと、トントン拍子で新しい生活が始まりました。

今、振り返ると、本当にいろんなことがあった一年でした。その中には、転職という大きな転機もありました。悩んだこともありました。親がそばにいないという不安は大きかったのですが、お寺の皆さんは家族のように親身にお話を聞いてくれて、本当にありがたかったです。

今までたくさんいただいたご恩を、今後はご奉公などを通じて、少しずつお返しできればと思います。今後ともよろしくお願いいたします。

死 別

生きたお寺

Hさん

【H29門祖会にて・寺報 平成29年2月号掲載】

このような大きな節目の門祖会で大役を頂くことになるとは夢にも思っておりませんでしたが、奉修御導師に松本御導師がいらして下さった事と、私事ですが昨日、無事に正宗徒となったこともあり、とても素晴らしい御計らいを頂いたと思い、私たち家族が入信するに至った経緯をご披露させていただきたいと思います。

と言いますのも、私たちが入信するに至ったのには松本御導師のご子息、松本現薫師とその奥様の裕歌さんも大きく関わっているからです。実は現薫師の奥様と私の妻は幼なじみで、妻はお二方の結婚式にも参加していました。

私はその時は正直、お坊さんはお葬式の時にだけお世話になるイメージしかなく、「お坊さんと結婚する人もやっぱりいるんだね~」くらいにしか思っていませんでした。すみません(笑)。

しかし、それが私たちのその後の人生に関わる全ての始まりでした。その数年後、私たちは次男を死産で亡くしました。その時の絶望感、虚無感は計り知れないものでした。この後、何をすればいいのかわからない状況で妻がふと裕歌さんの事を思い出し、泣きながら電話をしたのです。裕歌さんはその時、妻の話をただただ聞いてくれたのを覚えています。

そして、「火葬場についたらまた連絡して欲しい」と言われました。 当日、火葬場の控え室で泣きながら電話をしたら、現薫師と裕歌さんが「今からその子のために御題目をお唱えするから、一緒に唱えてほしい」と言いました。電話越しで現薫師がお看経をあげてくださり、私たちは泣きながら一緒に「南無妙法蓮華経」を繰り返しました。「南無妙法蓮華経」は火葬場のスタッフの人が呼びに来るまでずっと続けて下さいました。そして、不思議なことに泣きながら「南無妙法蓮華経」を繰り返しているうちに、涙が止まって無心で「南無妙法蓮華経」を繰り返していました。あの時はお看経して頂いたことにどれだけ救われたか計り知れません。

裕歌さんから「横浜にお薦めできる、とても素晴らしいお寺があるから、今とても辛いなら紹介する」と言ってくれて妙深寺を紹介してもらいました。それからすぐに妙深寺から阿部信仰師と瓜生さんが自宅へ来てくれました。信仰師と瓜生さんは四十九日まで毎週末、私たちのために自宅まで来てお看経してくださり、私達はいつも泣きながら「南無妙法蓮華経」を繰り返していました。でも、必ず不思議と「南無妙法蓮華経」を繰り返していると私たちは涙が止まって無心でお唱えしていました。そんな私たちに信仰師は「辛い時は南無妙法蓮華経をとにかく繰り返しなさい」とだけ教えて下さり、あとはずっと私たちの苦しい、悲しい気持ちを受け止め続けてくれていました。私たちは泣きそうになるときは、とにかく「南無妙法蓮華経」を繰り返していました。

そして、四十九日の時に初めて妙深寺に行って、この本堂に入りました。信仰師と瓜生さんは「簡単だけれども、ここで四十九日の法要を上げましょう」と言ってお塔婆も用意して下さり、お看経を上げてくださいました。そして、法要を終えたあと信仰師が私達に言って下さいました。「Hさんは最初に会ったときに、これからどうやって前に進めばいいかわからないと言っていたけど、今このお寺に来れたというだけで一歩踏み出せているじゃないですか」と。私達は大泣きしました。「このお寺は生きる人のためのお寺なんだ」ということに誰に言われるでもなく思い、このお寺にこれからもお世話になろうと思いました。